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冬の表浜海岸

今日は人が少なく、とっても気分良しです。
砂浜を歩いていると、結構風が冷たいので手などがしびれてきますが、良い感じです。
さて、表浜ネットワークとして海岸を、いつも観察しているのですが、環境保護と言う言葉を良く考えてしまいます。
確かに最近の海岸の変化は社会的要素も加え、急激でかなり不安な要素が多い訳ですが、
私の海岸を見る目は、通常の環境保護と言った観点では見ていないようです。
と言うのは、撮影していてもどこか人の気配を探してしまうようです。
結局、自然無垢の海岸では無く、人が関わる海岸が好きなようです。それも庶民的な関わりです。
美しいだけなら、海外に目を向ければ良いのでしょうが、長年親しんだ海岸には思い出が染みついていて、どことなくそんな断片を探してしまうようです。
そこで、意外な見え方がすると惹きいらされてしまいます。
環境も同じような考えですね。人の環境と地球の環境とは別次元にある気がします。
私が海岸に見い出している物は人の環境でしょう。
人が生きていくための環境はそれこそ糸を渡るような、微妙なバランスでしか成し得ていません。
誤解を招くかもしれませんが、地球ってのは人がどれだけ汚そうが、壊そうが、実に微動だにしないほど大きなスケールではないのでしょうか。
(人)が汚した結果、消え去るのは(人)という脇役でしょうね。ウミガメや他の絶滅危惧種とされている生き物も同じ脇役で、同じ舞台で演じる生き物、演じる者がどんどん減って行けばその舞台は幕を下ろすだけ。
で、次の舞台を地球は用意するのでしょう。別の配役でしょうか。
よく、言葉で地球が危ないとか、地球が泣いているとか(まあ表現策でしょうが)それこそ、地球が涙を滲ませて落とすまで、何十万年かかったしして。
地球は約47億年の歳月を費やし変化しているのだから。しかも産まれたては放射能まみれ。(笑
人が主人公と勘違いしている限り、問題は変わらないのかも知れませんね。
自分は海岸で人の環境を見ているのだと思っています。
しかも今にも切れそうな糸の環境を・・・。

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